僕、会社辞めます
2024年の年明け、CONSCIENCE全社員グループチャットで取締役より発表がありました。
「萱原氏の独立」
当社主軸事業約150名の統括であり、アルバイト組織だった2015年からCONSCIENCEを知る、営業成果においてもトップに君臨し組織創りの最前線で活躍してきた萱原氏。そんなトップリーダーが独立への挑戦という選択。約9年間CONSCIENCEを牽引してきた萱原氏だからこそ言えるCONSCIENCEの歴史と退職理由について語ってもらいました。
Contents
アルバイトから始まったCONSCIENCEの時間
ーーまずはCONSCIENCEとの出会いを教えて下さい。
友達の紹介でした。当時はアルバイトでの入社でしたのですが、のらりくらりフリーターをしていた時に仲良くなった友達に紹介してもらった。きっかけはそのようなものでした。
ただ2015⇒2016年は会社が正社員化を進めるタイミングだったので、アルバイトが「正社員になるか、辞めるか」を問われるタイミングでもありました。当時23~24歳の僕は「地に足付けて働くの嫌やな~、正社員はなんか嫌。」とか思ってたんですが、一緒に仕事をしていたバイト仲間と組織の成果を追う事は楽しんでいたので「みんながなるなら俺も笑」みたいな理由で正社員になったのを覚えています。
余談ですが当時のCONSCIENCE(旧社名:日本通信サービス)はコールセンター事業と、訪問営業事業の二つをしていて、訪問営業を伸ばしているタイミングでした。僕はコールセンターでのリーダーを務めていたので、訪問営業部門に一種のライバル心みたいなものをもっていました。
「訪問営業に異動なら正社員にはならない」
社長に対してキレ気味で歯向かったのを覚えています。
「萱原のポジションはコールセンター牽引。訪問営業させるつもりないけど急に何事?笑」
鼻で笑われたのを覚えています。(赤面)
そんなこんなで正社員になることを決め、CONSCIENCEの一員となったのです。
当時はこんな僕を仲間に入れて頂き本当にありがとうございました。
ーー「〇〇したい」という願望はなかったんですか?
なかったですね。自分なんかが何かをやりたいなんておこがましい。
僕はむしろ「こうなりたくない」という回避的なモチベーション一筋で生きてきました。
大阪から東京に来た時も、大阪での職場で30代の上司を見て
「今のままやったら10年後これか~・・やば。」
そう思ってなぜか大阪を出る事にしました(なんでそうなる)
辞めた翌日に東京に来てしまったので家もありませんでした(なんでそうなる)
東京に理想があったからでなく、このままではまずいという回避モチベーションが僕を動かしていました。その後は「モデルやってる」と言えたらかっこいいと思いモデルを目指してオーディションを受けまくりました。
肩幅がひろすぎて日本には仕事が無かった。(なんで)
その後はフリーターでふらふら仕事をしているときにCONSCIENCEにバイトとして入社しました。
入社して半年くらいでふとモデル指導者と繋がる事ができ、パリ・ミラノに挑戦する機会ができました。
「このままふらふらしてるのは嫌や」
ここでも回避的なモチベーションがヨーロッパに挑戦させてくれた気がします。
幸いミラノで所属事務所を1つ決めることが出来、「これで俺もスターやぁ」なんて考えていました。
でも日本に一時帰国し、CONSCIENCEの創業メンバーに「モデルするのでやめます」と言った際にすごい熱量で止められました。
「一緒に会社おっきくしよう!」
目を輝かして話してくれたのは創業メンバーでした。
色々話していくうちにお得意の回避的な考えで創業メンバーの誘いに乗ったのを覚えています。
おかげさまで本当に楽しい時間を過ごせました。
「ヨーロッパ行っても孤独やし、そもそも思った以上に寒かったし。」
ーー一貫した回避モチベーションですね、その後のCONSCIENCEはどうでしたか?
その後衝撃だったのが、先ほどいった「こいつらとなら・・」と思っていた「こいつら」がほとんど辞めてたんです・・∑
正社員を選ばずなぜか退職していったんです。事件でした。
「あいつらがおったから会社に残ったのに、、。はめられた・・涙」
少し、正社員化の選択をした会社のせいにもしていました。
誰とやるかで選んだのに、その「誰」って誰?笑みたいな。半年くらいははもぬけの殻で使い物にならなかったと思います。
もぬけの殻の状態で数か月が経ち、2つの解釈が頭をよぎります
「その辞めた奴らは”おれと仕事をしたいと思っていなかった事も事実なんやろな」
「”お前と一緒に仕事をしたい”そう思ってもらえる人間にならんと。会社のせいにしててもキリねえな」
結局自分の実力不足だったか~と少し落ち込みつつ、モヤモヤが晴れた瞬間でもありました。
人生で初めて自分が変わらないと何も変えられないというスイッチが入ったのを覚えています。
今でも僕と同じ境遇に合う人は少なくない。みんな口をそろえて「会社がこうだったから」って言うんですけど、
「100歩譲って会社が悪だとしても、お前に魅力が無かった事も事実やんなぁ」
と言ってます。
東京喰種(トウキョウグール)のヤモリさんも「この世のすべての不利益は当人の能力不足」って言っていました。
※みんな大好きヤモリさん(引用:バンダイチャンネル)
会社に勤めている人のなかで「会社が好き」なんて人は少数派でしょ?
多くが“この人達と居たい・したい・追いたい”という理由で頑張れてたりする。
だったら自分がそう思われる人にならないと話しにならない。
だからこそとにかく自分を磨く。これ以外で会社に貢献する選択を僕は知らない。こういう考えを会社に残したい。
気づかされ、変わり、進化した9年間
ーー改めてCONSCIENCEでの9年を振り返ってみてどんな時間でしたか?
前半5年・・「性根をぶったたかれた時間」
タイトルが辛辣ですが、でもこの言葉では緩いくらい。
ぶった切られた?校舎裏に呼ばれた?
とかく事業を通じて「自分の軽さ」を叩かれ続けました。
・だいじょばないのに大丈夫って言ったり
・できないのに出来るって言ったり
いわゆる「表と裏」が僕はめちゃくちゃだったのです。
「お前に人はついてこない」
「仕事舐めてんのか」
「人舐めてんのか」
袋叩きでした。
ただ、自分の性根を変えられた時間だったのかなと思います。
今だから言えますけど、専務の充電器を勝手に借りて怒鳴られたりとか、税金の差し押さえが会社に来て迷惑かけたりとか笑。
今思うとろくでもない奴だったなって思います。
何しても怒られる、そんな時間も短くなかったと思います。
「萱原の組織は人が育ってない」
社長と専務に言われた言葉が脳裏に焼き付いています。
今では憧れのお二人です
「え?人育つってなに?数字上がってんのにそれ必要?実績命なんちゃうん?!!!?」
あからさまに不機嫌な態度を取ったのを覚えています。(社長・専務ごめんなさい)
ただ、萱原が居る時と居ない時でメンバーの業務態度や成果が変わる事は薄々気づいていました。
「人を自立させられてない」
そんな気づきを与えてくれたんだなと今では思えます。
「全員が楽しんでる組織!」
当時は高校生の文化祭くらい浅はかなテーマを掲げていたので(塩野さんの冷めきった目も脳裏に焼き付いています)、メンバーの笑いを取る事が育成でありマネジメントだと思っていました。
今思うと、人を指導する文化のない組織で人が育つはずがないのです、アホでした
ーー社内でも厳しいで有名な萱原さんが育成できない時があったんですか?
ですです。それで数字上がっていないとき社長に急呼ばれたんです。
「全員稼働止めてお前がキレろ」
「そんなん雰囲気悪くなるだけやん、嫌や!」
僕はこう思いましたが、社長にNOを言えるわけもなく、言われるがまま稼働をSTOPしました。
「お前らもう17:00やぞ、数字悪いのわかってるんか、へらへら仕事してる場合ちゃうやろ、給料出てんのや」
恐る恐る言った言葉だったのですが、メンバーのスイッチが入る音が聞こえた気がしました。
全員の顔つき・業務姿勢が変わったのです。それから教育を真剣に学び始めました。社長はすごい・・
ーー後半4年はどうだったんですか?
「役員が現場に居ない現場作りに励んだ時間」
前半5年で性根が叩かれ、それを現場に還元するフェーズに突入しました。
萱原が居るから頑張れる。ではなく、”自分の意思で目標を追う人材を輩出する”というテーマを掲げ組織作りに没頭しました。
タイミングとしても会社が急成長していたこともあり次世代のリーダーを輩出すべきだと考えていました。
「金を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上」
野村監督の言葉にも出会いました。
会社に人を残すとはなんぞや?を自問自答し続けました。後半は特に人にフォーカスした時間でした。
あとはなにがなんでも現場に役員は入ってほしくない。
「役員が現場に入ると自分は怒られる、だから嫌」
勝手な妄想ですが、ここも回避的モチベーションで人の教育をし続けました。
前半戦で「組織は自分以上にならない」ということを叩き込まれ、後半戦で「人がついてくる魅力とはなんだろう」を自分なりに仮説検証し続けた時間となりました。
CONSCIENCEを辞める理由
ーーでは改めて、CONSCIENCEを辞めると決意した理由を教えてください
自分が一番挑戦していないことに気付いたからです。
「とにかく挑戦しろ。20代は失敗してなんぼ。20代でぶつかって、30代で形にしていくんだ」
そう言いながら組織を作ってきましたが、薄々”自分が一番挑戦していない事”に気づいていました。そもそも新卒で入ってくれるメンバーはリスクを取っていると思う。安定の大手ではなくベンチャーというリスク。
それに比べ自分は友達の紹介で入っただけ。やめていく人がいるなかで自分は残っただけ。会社が成長していたこともあり、うまく流れに乗った感覚?激流の川の上でうまく流れに乗った葉っぱみたいな感じで、何かをつかみ取ってきた覚えはありませんでした。社内では「すごい」とか「憧れる」とか「ついていきます」とか言ってもらえるけど正直その言葉にビビってました。
「本当に自分がすごいの?なにもしてないけどな。」
そんな僕ももう32歳。なにもリスクを抱える事が無いまま40歳にはなりたくない。そのなりたくない回避的な気持ちが僕に起業をさせました。
「会社の優秀」が「社会の優秀」なのか。
それを試してみたくなりました。
ただの転職は挑戦でもない。今を回避するためには起業以外の選択がありませんでした。「獅子の子落とし」ってありますけど、自分で崖から落ちちゃおうみたいな。
ーーこれからの人生の目標を教えてください
「リスクを取り続けること」です。
最初にも伝えた通り、僕には成し遂げた事なんて無いのです。今このままでいる人生を回避し続ける人生を送りたい。
起こした会社でうまくいったとしても「このまま」を回避するためにも連続的に挑戦していく。
いつも何かに挑戦している人になるのかなと思っています。知らないです。
CONSCIENCEは「教えること」が好きなんじゃなくて、「仲間を創ること」が好きな会社なんだと思います。教える事って上下関係じゃないですか。CONSCIENCEが目指しているのは横並びになっていく事。いわば、後輩を育て上げ自分と横並びで仕事が出来る人を増やす事。“後輩”から“仲間”にする事だと思っています。
僕が成長し、CONSCIENCEの創業メンバーと肩を並べてビジネスの話をする事が目標になりました。
この2~3年で関わりを持った子達が、成長した姿を見せてくれる事も楽しみの1つです。
場所は変わっても想いは変わらない「一歩踏み出し、決断する」こと
ーーCONSCIENCEに残る後輩、そしてこれからCONSCIENCEに入る人へメッセージをお願いします
まずは社内の皆さん、今までありがとうございました。残った時間で関りあるメンバーに全てを残そうと思います。
皆さんにお伝えしたい事は3つ。
①「困難は良くなるためにあるということ。」
仕事をしていると実績不良、仲間がついてこない、組織への不満。様々が困難が立ち向かってくると思います。
これらの感情を乱されることというのはすべて良くなるためにあるものだと思って欲しい。
これ系ってみんな臭い物に蓋をしたくなるんですけど、困難から目を背けると人は自分を割り切るようになる。
「私はこういう人間だから」
そして困難から目を背け続けた大人は「向き不向き」という言葉をよく使います。
過去うまく行った事しか選ばなくなり、気が付いたら選択できる事が極めて少なくなります。
かっこいい大人になりたいなら困難から目を背けず向き合うことを大切にしてほしい。
②「みんな、もっと挑戦した方が良い。」
特に入社3年以上の中間層。
1年目のギラギラした目はみんなどこに置いてきたの?とよく思います。丸くならないでください、自分で目標を立てて下さい。
1~2年目の尖りが実績に紐づいたからこそポジションを取れたのに、リーダーになった途端尖りがなくなる。
何落ち着いてるの?惜しいな。っていつも思ってます。
後輩がたくさん入ってくるからって先輩ぶるのはやめてください。ださい恰好たくさん見せて下さい。あんたがやらなくても、俺はやるからって言ってください。決して大人しくならないでください。
リーダーが一番子供っぽくあってほしい。小さな目標に目をキラキラさせて、今を楽しんでください。その背中を見せることで「仕事ってこんなにも楽しんでいいんだ」と、漸く新入社員に伝えられるのだと思います。
歴が長い人、どんどん尖ってください。
どんどんわがままになってください。
こだわりをつきつめて変人集団を作ってください。
そうなって初めて、会社から送り出される人になるのかと思います。僕も頑張ります。
③「世の中、組織、他人には期待しない」
最後は“期待はするな”という事です。「思っていたのと違う」となる時は、だいたい自分の前提が間違っていた時なのかなと思うんです。
・どうせ仕事はつまらない
・他人はどうせ何もしてくれない
それくらいの前提を持ってほしい。「最近仕事がつまらないないんです」という相談がたまにあるんですけど、「何の発表?笑」って言ってます。
ほとんどのケースで自分が期待しすぎていた事が間違いだっただけの話なんです。
育成でもそう。後輩への期待が度を過ぎるからわざわざダメージを受ける。
CONSCIENCEでの仕事が楽しいんじゃなくて、CONSCIENCEには仕事を楽しもうとする人が多いだけなんです。
他人や環境が自分に何かをしてくれる事を期待している内は仕事なんて楽しくならないんです。
人生なんて暇つぶし。
暇な時間なのであればなにかアクションしないと何にもならない。
直近の目標も立てないで、昨日の自分を超えようともしないで、「退屈です」なんて相談には付き合ってられなくなってきました。
「変わりたければ、変われなければ、変わらない」
それが社会だと思います。CONSCIENCEで前半の5年があったからこの考え方ができるようになったと思います。CONSCIENCEはそんな人間的な成長をもたらしてくれる場所ですので、覚悟をもって仕事をする人にとっては刺激的で充実した時間を過ごせると思います。
「バットエンドはない、僕たちは途中だ」
ピースの又吉さんが言っていました。
NSC(お笑い養成所)に入ったとき、同期が数百人いて自分よりも面白そうな人間が山ほどいたけど数か月で半分が辞めた。その辞めてしまった人達は、「自分に対する期待が大きすぎたんじゃないかなと思った」と。
そんなうまくいくわけない。そんな簡単にはいかない。
▶スピーチはこちら(近畿大学|Youtube)
ーーありがとうございます。では最後に萱原さんにとっての「人で日本一のベンチャーへ」とは何ですか?
「従業員が100%自分の意思で物事に取り組んでいる会社」です。
自分の意志で、本気で、何かを目指して取り組む、そんな人たちの集合体は、“人で日本一”と呼べるような組織だと思います。これは自分の会社でも目指していきますが、メンバー全員みずから決断して一歩踏み出し続ける。CONSCIENCEはそんな会社だと思っていますし、まだできていないなという方はこの言葉をヒントにしてほしいなと思います。
改めて、ありがとうございました!
あとがき
退職する人のBLOGとは何事だ。そう思った人もいるかもしれません。しかし、萱原さんの言葉にもあった「挑戦をし続けること」はCONSCIENCEという場所だけがすべてではないと思います。少なからず9年間という時間で萱原さんはこのBLOGでも取り上げられるほどの実績と、信頼を積み重ねた方です。もちろん一緒にやりたいという思いや、正直組織をもっと育ててほしいという思いはありますが、進むべき道を自ら決断したその姿に対してできることは送り出すことと応援することのみです。CONSCIENCEの面接で将来起業したいという人に私は伝えます。「してもよいけど、うまくいかないときに逃げ出す理由で起業は使わないほうが良い」「会社に送り出してもらえる人材になって起業してほしい」と。まさしく萱原さんはその言葉を体現するかのように、自身の変化を生み出し、回避的なモチベーションと言えど、誰もが認めるような実績を出した。そして社内にいる人、このBLOGを通じて今後起業や事業立ち上げに従事していく人に背中を見せてくれたのだと思います。
萱原さんのような自らの変化を起こしたい方、環境や会社ではなく自らを磨くことにトライしたい方、20代で他では得られない経験を積んでいきたい方、少しでも共感や興味を持った方はぜひエントリーしてみてください。
そして社内の方々は改めて萱原さんの考えや想い、自社内で活かせる事も多々あるかと思います。是非心にとめて前進しましょう。
end